浦和地方裁判所川越支部 昭和63年(ワ)210号 判決 1989年10月19日
原告 甲野太郎
原告訴訟代理人弁護士 細田初男
同 杉村茂
同 島田浩孝
被告 埼玉県
右代表者知事 畑和
被告訴訟代理人弁護士 福田恆二
指定代理人 西山信行
<ほか三名>
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金二二〇万円及びこれに対する昭和六三年五月一三日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
原告は亜細亜大学法学部の学生であり、訴外赤星高敏警部補(以下「赤星警部補」という)、押見吉郎警部補(以下、「押見警部補」という)、金井孝一巡査(以下、「金井巡査」という)、小峰洋司巡査部長(以下、「小峰部長」という)及び同片貝武警部補(以下「片貝警部補」という)は、川越警察署に勤務する埼玉県警察所属の警察官である。
2 前記警察官の違法逮捕
(一) 原告は、昭和六三年三月四日午前一〇時五七分ころ、原告所有の第一種原動機付自転車(車両番号、上福岡市や・八七号、以下「本件原付」という)を運転して、川越市大字藤間九四八番地川越市立第四給食センター前路上(以下、「本件現場」という)にさしかかった際、同所で交通検問中の赤星警部補に停車を命じられ、原告に対し、免許証を提示するように命じた。
(二) 原告が免許証提示義務がないことを理由にこれを断ったところ、住所氏名を尋ねそれについても答えなかったところ、押し問答の末、赤星警部補は原告を無免許運転で逮捕する旨告げて、同日午前一一時二分に現行犯逮捕した。
(三) 原告は、金井巡査に両手錠・腰縄をつけられ身柄を拘束され、パトカーに乗せられて、午後〇時四〇分ころ川越警察署へ引致され取調べを受けた後、午後七時ころ釈放された。
なお、原告は、逮捕されて不安になったためパトカーの中で、知り合いの警察官である東入間署の大友巡査部長、城所巡査部長、川越署の神保警部補、小林巡査部長の名前を挙げて身元確認を求めたが、赤星警部補は取り合わなかったし、川越警察署で原告を確認した神保警部補は「勝手に俺の名前を出すな。」と言うのみであった。
さらに身柄拘束中に、原告が自費で昼食を取ることを希望しても許可されなかった。
3 被告の責任
そもそも一斉検問は、警察官職務執行法二条一項に定める職務質問の要件確認のための職務質問であり、現行法のもとでは法的根拠を欠き、違法である。
また、仮に一斉検問が適法であるとしても、一斉検問においては一般的に停止と免許証提示の協力が求められたにすぎず、原告には道路交通法六七条一項の免許証提示義務はない。それゆえ、赤星警部補の本件逮捕は違法である。
さらに、仮に本件逮捕が適法であるとしても、川越署において神保警部補が原告の住所と氏名を確認しており、直ちに所持品検査をすれば、原告の人定と免許証所持の事実が容易に判明し得たのに、これをしないで漫然と身柄拘束を継続したものであるから違法である。
4 損害
(一) 慰藉料
原告は、本件違法逮捕により、約八時間に渡って身体の自由を拘束され、昼食も与えられず、写真撮影、指紋押捺を強いられ、逮捕歴が残るという不利益など様々の精神的損害を被ったので、これを慰藉するには二〇〇万円が相当である。
(二) 弁護士費用
原告は本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として二〇万円を支払うことを約した。
よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求権により、二二〇万円及びこれに対する不法行為の日の後で、訴状送達の日の後である昭和六三年五月一三日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1は認める。
2 請求原因2(一)は、停止を求めた時刻を除き、認める。原告に停止を求めた時刻は午前一〇時五一分ころである。
同2(二)、(三)は否認する。
3 請求原因3は否認する。
4 請求原因4は否認する。
三 被告の主張
1 川越警察署は、管轄区域内で多発する交通事故防止対策の一環として、交通指導取締りを積極的に推進しており、昭和六三年三月を特別交通取締り月間と指定して同月四日本件現場において交通指導取締りを行った。
2(一) 赤星警部補は、午前一〇時五〇分ころ、原告が川越市寺尾方面から同市下松原方面に向けて、いわゆる蛇行状態で本件原付を運転して来るのを現認し、その走行状況から、酒気帯び又は無免許運転の疑いが認められたので、道路交通法六七条一項により、原告に対し、停止を求めるとともに運転免許証の提示を求めた。
(二) 原告は、赤星警部補の再三に渡る運転免許証提示の説得にもかかわらず、正当な理由なく運転免許証の提示を拒み、住所氏名も明らかにしなかったうえ、エンジンを稼働させたままの状態で発進するかの如き態度を取ったため、赤星警部補はエンジンキーを抜いて、原告の逃走を防ぐとともに、さらに説得をしたにもかかわらず、原告が運転免許証を提示せず、住所氏名を明らかにせず、さらには逃走するかのごとき態度言動にでたため、罪証湮滅及び逃走のおそれがあり、逮捕の必要性があると判断し、午前一一時二分ころ、赤星警部補は金井巡査に逮捕を指示し、金井巡査は、赤星警部補に「逮捕ですね。」と確認のうえ、原告に対し、「道路交通法違反の現行犯人として逮捕する。一一時二分」と告げて、原告に手錠をかけた。
(三) 現行犯逮捕後も、赤星警部補は原告に対し、川越警察署への連行途中のパトカーの車内において住所氏名を言うように説得し、さらに弁解録取書作成の機会においても弁解の機会を与え、「ジグザグ運転していたので、警察官が無免許の疑いを持ってあなたに停止を求めたところ、あなたが免許証を所持している旨申し立てながら、免許証を提示しなかったので、免許証提示義務違反の現行犯人として逮捕されたのです」と述べて、逮捕事実を告げた後、弁護人を選任できることを説明し、住所、氏名、生年月日を尋ねたが、明らかにしなかったので、留置の必要性が消滅しなかったので原告を留置し、その後所要の捜査を行った結果、原告の住所氏名生年月日が判明すると共に、原告も供述を行うに至り、事実関係も判明したので、逮捕手続きに伴う写真撮影、指紋採取などの終了した午後六時四七分、原告を釈放した。
3 逮捕の適法性
(一) 原告は運転免許証提示義務に違反し、住所氏名を明らかにせず、逃走のおそれがあったのであるから、逮捕の必要性、罪証湮滅、逃走のおそれの要件はいずれも満たしており、本件逮捕は適法である。
(二) また、原告の留置を継続したことについて、原告は所持品検査をすれば、直ちに逮捕の誤りが発見できたのに、それをしないで漫然と身柄拘束を継続したのは違法であると主張しているが、右主張は被疑事実を無免許運転であることを前提とするものであって、その前提に誤りが存するうえ、逮捕後直ちに所持品検査を行う必要もないこと、逮捕後も住所氏名を明らかにしなかった以上留置を継続する必要性があり、右留置は適法である。
四 被告の主張に対する原告の反論
1 被告の主張1のうち検問を行っていたことは認めるが、その余は不知。
2 被告の主張2(一)(二)(三)は争う。原告が蛇行運転を行っていたことはない。
3 被告の主張3(一)(二)は争う。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1は当事者間に争いがない。
同2のうち昭和六三年三月四日に本件現場において一斉検問が行われており、赤星警部補が原告に停止を命じ、運転免許証を提示するように求めたこと、原告がこれを拒否したこと、赤星警部補が原告に住所、氏名、年齢及び本件原付の所有者を尋ねたが、いずれの質問にも原告が答えなかったこと、同日午前一一時二分ころ原告が現行犯逮捕されたこと、同日原告は公安委員会の許可する運転免許証を所持していたことはいずれも当事者間に争いがない。
二 《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められる。
1 本件現場は、川越市中心からほぼ南方にはずれた入間郡大井町との境付近で東武東上線新河岸駅のほぼ南方約二キロメートルの位置の川越市道である。本件現場の第四給食センターから、約四〇メートル北東に寄った付近からわずかに右にカーブしながら、さらに北東へ約一一〇メートルくらい行くと通称旧国道二五四号線と交差する信号機のある交差点となり、さらにそこから東よりに曲がり、国道二五四号線と交差する信号機のある交差点となり、上福岡市に至る。本件現場から南西に約一キロメートル進行すると入間郡大井町に至る。現場道路は幅員約五メートルのアスファルト舗装道路で中央線はなく、第四給食センター側には幅員〇・四メートルの車道外側線が引かれているが、部分的に薄れていたり消失している。
本件現場は第四給食センターの建物があるほかは周りは畑や空き地となっており、第四給食センター前付近から国道二五四号線方面への見通しは良く、第四給食センターからさらに約一〇〇メートル大井町寄りに進行すると中村外科がある。
2 赤星警部補は、昭和六三年三月四日午前一〇時二〇分ころから川越警察署勤務の六名の警察官とともに交通一斉検問を本件現場において行い、三名ずつ分かれて両方向を取締り、赤星警部補はこれを監督していた。原告は、赤いヘルメットを着用し、黒色ジャンパーにジーンズという服装で本件原付を運転して、国道二五四号線を寺尾方面から横断し、旧国道の交差点で赤信号のため停止し、青色信号に従って時速約三〇キロメートルで進行した。
赤星警部補は、第四給食センターの反対車線側の路外に立ち、国道二五四号線方面を監視していたが、七六メートル左斜め前方に原告が本件原付を運転して進行して来るのを目撃した。
3 ところで、赤星警部補は、原告が最初は道路中央付近を走行していたにもかかわらず、すぐに左側に進路を変更し、原告の前を走行していた白色乗用車との車間距離が縮まるとともに原告の姿が赤いヘルメットを除いて見えなくなり、さらに原告は道路中央付近に寄るとともに前車との距離が開き、さらに左側に寄るということを繰り返したことを目撃し、無免許運転もしくは酒気帯運転の疑いを持ち、原告車を停止させるために道路を横断し、午前一〇時五二分ころ原告車を停止させ、運転免許証の提示を求めた。
4 原告は原告車のエンジンを作動させたまま、本件原付から降車することなく、両足を地面に置いた姿勢で、赤星警部補と以下のような会話をした。
赤星警部補が原告に「免許証を見せて下さい。」と言ったところ、原告は「いやだよ。なんで見せるの。」と答えたため、赤星警部補は再び「免許証を見せて下さい。」と言い、原告がこれを断るということを繰り返し、赤星警部補が「あなたは免許証を持っていないんですか。」と尋ねると原告は、「免許証はもっているが見せるのは嫌だ。」といったやりとりを繰り返した。その間に金井巡査は原告車の賍物照会を行った。さらに赤星警部補は「早く免許証を見せなさい。」「本当に免許証を持っているんですか。持っているんだったら免許証を見せなさい。」などと言ったところ、原告は「写真映りが悪いから免許証を見せたくない。」「大宮の写真機が悪いんだ。」「何の権限があって免許証を見せろと言うのですか。」などと言ったため、「検問の根拠は警察法二条です。」と答えたところ、原告は「警職法だろう。」と言い、検問の根拠についてのやりとりがなされたのち、小峰巡査部長も「無免許でなければ免許証を見せたらどうだ。」と説得し、さらに金井巡査も「免許証を見せなさいよ」と説得し、「免許証を持っているかどうか調べるから住所と名前と生年月日を教えて下さい。」と質問したが、「何も悪いことをしていないから言う必要はない。」と答えるのみであった。赤星警部補は、原告の場合には「蛇行運転で無免許運転の疑いがあること」を説明したが、原告は自分は違反行為など一切行っていないから免許証提示義務はないとして、提示を拒否した。そのため赤星警部補が「無免許の人が交通検問で免許を持っていると言ったらどうするんだ。」と尋ねたところ、原告は「信用するしかない。」と答え、このようなやりとりが続いた。そのうち原告が「弁護士を呼んで下さい。」と言い、赤星警部補が「そんなもの自分で呼べばいいだろう。」と言ったところ、原告は「では呼ばせてもらう。」と言って、本件原付のハンドルを正面に向けて、右足を踏み台に乗せ、体を前屈みにして発進しそうになったため赤星警部補は本件原付のエンジンキーを抜き取った。
5 その後、赤星警部補は原告を、パトカーの方へ移動させ、その場でも説得を続けたが、原告はこれを拒否し、金井巡査が「免許証を見せなければ、逮捕する。」と言うと原告は「現行犯じゃないから、令状がいるんじゃないですか、令状を見せてくれ。」と言い、赤星警部補が「現行犯だから令状はいらない。免許証を見せなさい。見せなければ逮捕する。」といったやりとりがあり、金井巡査が「免許証を出さないなら、住所、氏名、生年月日を言いなさい。」と言ったが、原告は「言う必要はない。」として答えなかった。
こうしているうち、赤星警部補は原告は飲酒はしていないので酒気帯運転の疑いはないと思い、さらに無免許の点についても原告が自信たっぷりの表情で免許証はある旨答え続けるため、無免許運転でも、免許証不携帯でもなく免許証提示義務に違反していると認めるようになった。
6 原告は赤星警部補、金井巡査及び小峰部長に取り囲まれるようにして説得を受けていたが、金井巡査と小峰部長の間を抜けるように足を踏み出したため、赤星警部補は金井巡査に逮捕を命じ、金井巡査は道路交通法の免許証提示義務違反で現行犯として逮捕する旨告げて一一時二分と時間を告げて、原告を逮捕した。
7 その後、原告はパトカーの後部座席の右側に乗せられ、川越警察署へ引致されたが、その際の車中でも、赤星警部補は、免許証を提示するよう説得したが、原告はこれを聞きいれなかった。原告は、以前に告訴を行ったことがあり、その際に取り扱いをした神保警部補などの名前を出した。
川越署へ原告を引致した際、金井巡査は、刑事課へ赴き、神保警部補に対し、「被疑者が神保警部補と親密な関係である旨申し立てているので、面識があるか否か確認してもらいたい」旨を依頼したので、神保警部補は、原告を確認したところ、以前取り扱った告訴事件の告訴人である甲野太郎であると判り、神保警部補は「あまり勝手に人の名前を使うな迷惑する。」などと言ってその場を離れた。
弁解録取書作成までの間に大泉隆好巡査が、原告の監視にあたっていたところ、原告は「私は亜細亜大学の法学部で法律を学んでいる。将来は、弁護士は難しいから司法書士になる。お巡りさん、私を知らないの、所沢署でも東入間署でも、私を知らないお巡りさんはいないよ。検問をやってもいつも素通りで止められたことはないよ。川越署でこんなことになるんじゃ、もう川越に来られないな。お巡りさん、飯を頼んでよ。金を払うから。腹がへったから出前を頼んでよ」と申し立てた。大泉巡査が「もう少し待つように。」と言い、何度かやりとりをしたところ、その後、原告は「もう食べないよ。」と断った。この間、大泉巡査が原告に昼食を取らさないで、自分だけ食事をしたことはない。
押見警部補は午後〇時三二分ころ、原告の引致を受け、弁解録取書を作成した。押見警部補は原告に対し「ジグザグ運転をしていたので警察官が無免許運転の疑いをもって停止を求め、免許証の提示を求めたが、免許証は持っていますと言ったが提示をしないので、それで逮捕されました」と被疑事実及び弁護人選任権を告げて、住所、氏名生年月日を聞いたところ、原告は「住所氏名については、バイクの所有者と一緒です。職業は学生です。免許証は持っています。弁護士を通じて話します。」と答えた。
原告は現行犯逮捕手続書を見せるよう、押見警部補に頼んだが、作成中ということで押見警部補はこれを断り、署名を求めたところ、原告は一旦はボールペンを持って署名しようとしたが、「バイクの所有者と同じです。」と言って、ボールペンを置いて署名捺印はしなかった。その後、押見警部補が、「弁護人に連絡するが、知っている人はいないか」と尋ねたところ、「川越市の郭町の近くの細田先生をお願いします。」と答えたが、その後間もなく原告は、亜細亜大学の竹内俊夫教授に変更した。原告が同教授の住所を知らなかったため、留置管理主任の永井巡査部長が、午後三時四〇分ころに竹内教授の妻と連絡をとり、弁護人を依頼したが、「夫は弁護士ではない。」と断られ、この旨原告に伝えたところ、再び川越の細田弁護士を依頼したため、同弁護士に連絡し、了解を得た。
8 押見警部補は、原告の人定を特定するに必要な捜査を行うため、午後三時一〇分ころ、原告を留置管理係に引き継いだ。留置管理係は、原告の健康状態の問診及び身体検査を行い、その際、ジーンズのポケットから、原告の運転免許証が発見された。
9 片貝警部補は、午後三時二五分ころから、原告の取調べを行い、二〇分間位は世間話をしてから、手錠を外し、供述拒否権を告げて、取調べを行った。免許証のコピー、所有者照会、在籍照会の結果がその時点で判明しており、原告は、住所氏名生年月日及び赤星警部補との会話のやりとり、免許証を提示しなかった理由について素直に供述した。午後五時二〇分ころ、細田弁護士が接見の申入れをしたので、片貝警部補は取調べを中断して、原告を接見室に同行した。接見終了後、再び片貝警部補は取調べを行い、午後五時四七分ころ、作成した供述調書を原告に読み聞かせたところ、原告は誤りがないことを申し立て、署名したのち、留置場に印鑑があると申し立てたので、館巡査を留置場へ行かせ、印鑑を持参してもらい、右供述調書に押印させた。
10 取調べ後、原告に対する所定の指紋採取、写真撮影を行い、午後六時四七分ころ、原告を釈放するための手続きが完了し、原告は釈放された。
三1 以上の事実が認められるのでこれを前提として、本件現行犯逮捕に正当な理由があるかどうかについて判断する。
川越警察署の警察官による、原告が乗車していた本件原付車の停止行為及び免許証提示要求が一斉検問によるものであれば、一斉検問が違法かどうかの点はともかく、そもそも免許証提示義務がないのであるから、原告に対する逮捕及びその後の留置行為はいずれも違法ということになる。
そこで、被告の主張するような、道路交通法六七条一項による運転免許証提示義務が原告にあったかどうかが問題となるので、この点について検討する。
道路交通法六七条一項の免許証提示義務が生じるためには、警察官が車両運転手が無免許運転や酒気帯運転をしていると疑うに足る相当な理由の存在を必要とし、警察官が単に主観的に前記無免許運転等の違反運転がなされていると判断しただけでは足りず、その走行状態その他の事情(主として外観)から道路交通法規違反が客観的に認められる場合であることを要するとされている。
ところで、当事者間に争いのない事実及び前記認定の事実を総合すると、原告が本件原付を蛇行運転した事実が認められるから赤星警部補が、原告が乗車していた本件原付を停車させて原告に対し免許証の提示を求めたことは一斉検問によるものではなかったのであり、そうすると、原告には道路交通法六七条一項による運転免許証提示義務があった事案であるということができる。しかも、赤星警部補は原告に対し、運転免許証提示義務があることを説明していたことが認められ、そうすると、原告を逮捕したことについては正当な理由があったものと認められる。
これに対し、原告本人の供述中には、原告の前方には白色の乗用車はなく、蛇行運転もおこなっておらず、運転免許証提示義務があることの説明がなされないままで、無免許運転という被疑事実で逮捕されたとする部分もあるが、原告は交通一斉検問のあり方にかねがね疑問を持ち、東入間署管内などでも検問の際には免許証を提示しないで通過してきており、本件の場合も一斉検問と同一であり、自分は蛇行運転など道路交通法違反は行っていないから、免許証提示義務はないものと思い込んで警察官と対応して赤星警部補の説得にも耳を貸さなかったものと認められること、逮捕後間もなく書かれた《証拠省略》によると、逮捕されてパトカーに乗せられた中で、赤星警部補が「では私が大型に乗って免許証を見せて下さいと言われたら、持ってると言えばそれでいいんだね。」とさらに説得していることを認めており、赤星警部補が、道路交通法六七条の趣旨を説明しようとしたことが充分窺えることや、前掲各証拠と対比すると採用できない。
2 つぎに現行犯逮捕の必要性について検討する。
現行犯逮捕も人の身体の自由を拘束する強制処分であるから、通常逮捕と同様に刑事訴訟法規則一四三条の三に準じて逮捕の必要性をその要件と解するのが相当である。
ところで、原告は、現行犯逮捕されるまで住所氏名のみならず本件原付の所有者も明らかにしなかったこと、本件原付を発進するが如き行為にでたり、三名の警察官がパトカーの前で原告を説得していた間を抜け出すような行動に出たことが認められ、これらのことからすると、赤星警部補が原告には、逃亡の虞があると認めたことには相当な理由があり、そうすると逮捕の必要性の要件も満たしていたものと認められる。
もっとも、現行犯逮捕における逮捕の必要性の要件を満たしているとしても、逮捕をするかどうかについては、捜査官の裁量のあるところであり、特に交通事犯のように一般人が違反を犯しやすい犯罪については、任意同行などの方法を運用として採ることが望ましく、特に本件においては、運転免許証提示義務違反であり、同義務は、無免許運転などの取締りの手段として認められるのであるから、赤星警部補が原告について運転免許証を有しているのではないかと推認した後で、現行犯逮捕をしたことはやや行き過ぎの感じを受けなくもないが、原告が、一斉検問であると誤信して、自分には違反がない以上運転免許証提示義務はないと考えて、終始、住所氏名のみならず本件原付の所有者すら明らかにしなかったことや、無免許運転の疑いも完全には晴れていなかったことからすると、本件逮捕に違法性があったとまでは認められない。
3 留置継続の必要性について検討する。
原告は、身体検査により、直ちに無免許運転ではないことが容易に判明するのに、これを怠って留置を継続したことが違法であると主張するが、この主張は逮捕理由を無免許運転であることを前提とするものであるから理由がない。また、原告は川越警察署の神保警部補などの氏名を挙げていたのであり、川越警察署で同警部補が原告の氏名を確認した段階で留置の必要性はなくなったのではないかという点についても検討すると、《証拠省略》によると、原告は、昭和六二年五月頃川越警察署に第三者を告訴し、この告訴事件を担当したのが神保警部補であるが、弁論の全趣旨によればこの事件については、昭和六二年八月中ごろに送検されており、そのため川越警察署には記録が残らず、そのため原告の氏名及び住所の正確な確認はできなかったものと認められ、神保警部補が「勝手に人の名前を出すな。」と言っただけでは、人定が行われたとは言えない。
そうすると、この点の主張も採用できない。
四 結論
以上の次第で、原告の本訴請求は、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村重慶一 裁判官 荒川昂 真部直子)